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さらっとルバーブジャム

毎週1時間ほどかけて、農薬・化学肥料を使っていない野菜や平飼い自家配合飼料の卵を配達してくださっている「皆農塾」さんから、今年もルバーブが届きました。
ジャムおじさんオーナーアライのジャム作りが始まります。
CIMG0448.jpg

ルバーブほどいい子のジャム材料はありません。
洗ってざっくり切って洗双糖を入れて煮るだけ。
CIMG0452.jpg
CIMG0455.jpg
しかもちょっとぐつぐつ煮詰めればOK。
CIMG0464.jpg

あとは熱いうちに瓶に詰めるだけ。
これで美味しいジャムが出来上がるのですから、とても簡単。
ジャムおじさんとしては、ルンルンなジャム作りなのです。
調子にのって作り過ぎないことが肝心です。
爽やかな酸味がお気に入りのお客様も多く、待っていて下さいます。

ルバーブはこの他コンポートにしてタルトに使ったり、今の季節大変活躍します。
CIMG0461.jpg

お店にはルバーブデニッシュが並んでいますよ。
CIMG0393.jpg

パン屋にこもりきりのことが多い私たちにも季節の移り変わりが、届けられる野菜や果物、ハーブで感じられます。
来月はブルーベリー!
夏が近づいてきましたね。
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くろうさぎのどうぶつなかま

事務室の外で猫がニャーニャーうるさくないています。
昨年5月に岡山を経由して北海道から帰ってきた、末っ子娘の愛猫オムスビです。
アコーデオンドアを無理やりこじ開けて事務室に侵入、膝の上に乗って仕事の邪魔をし始めます。
ずーっと事務室からは締め出してきましたが、最近入り込むコツを覚え、閉まっているドアを開けたらすでにオムスビが・・・化け猫のように居座っていたりします。
こちらももうなげやりな気分なので、よほど悪さをしなければ放っておきます。

昨年の5月からつい先月の3月まで、末娘はパン屋を手伝ってくれていました。
あわよくば秩父を拠点に、いろいろなことにトライしながら、ズルズルパン屋を手伝ってくれたら楽しい日々が送れるぞ、と思っていましたが、娘は確かにいろいろな体験ー安保法案抗議行動や劇団「態変」(多分世界にひとつしかない、いわゆる「障害者」の劇団)の黒子などーを楽しみつつ彼氏をゲット、あれよという間に彼氏と仙台へ引っ越してしまったのでした。
思惑通りにはいかないものですね。
おいて行かれたオムスビですが、4、5月のお店がとっても忙しい時期、アースデイもあるので、娘が手伝いに帰ってくる時まで預かることになっています。
オーナーアライは猫が置いていかれたので大変喜んでいます。
「オムちゃん、お別れだねえ」とオムスビに話しかけるアライ。
「オムはゴールデンウィーク明けまでいるわよ」
「えっ、ほんと?あーよかった!」
そんなに可愛いんだーとあらためて知った私。
ペペオム
    まあまあの写真写り
「猫飼う?」
「(オムスビみたいな)こんな猫はいないよ・・」
と、この会話を何回繰り返したことでしょう。
確かに、娘が甘やかしたせいなのか、かつて出会ったことがないほどの甘ったれ猫です。
自分が猫ってことを知らないのかも・・・
私は・・・可愛いけど、時々うざいです。

娘がいなくなることになり、昨年11月から製造スタッフとしてバリバリ働いてくれているHくんの彼女(新婚さん)が、娘のかわりにくろうさぎに来てくれることになりました。
娘がやっていた菓子パン類の窯や厨房、販売の仕事です。
うちよりずっと大きいパン屋さんの販売の経験があり、くろうさぎラッキー!
そして、そして、なんと可愛いワンコ連れで出勤!なんです。
パン屋はどうしても労働時間が長めなので、夫婦ふたりでくろうさぎでお仕事なら、飼ってる犬も連れてきていいよ、ということに。
その大変可愛い雑種のペペは、捨てられ保護された施設で飼い主が現れるのを待っていたワンコです。
雨の日や寒い冬は倉庫の片隅の檻、晴れた日は外のお店の前の木に囲まれたスペースで、ふたりのお仕事が終わるのを待っています。
ペペオム
    キリっと待っています
お客様や道行く人、特に犬の散歩をしている人や学校帰りの子どもたちが、ペペめがけてよってきます。
ペペは犬仲間が大好きで、犬を見ると遊びたがってヘーヘーしていますが、一方人間の子どもがとても苦手です。
子どもが近づいてくると、小屋の奥に逃げ込んでしまいます。
ペペオム
   こんな感じ
ペペのおかげでお客様との会話も増えました。

というわけで、お店の外ではペペがキュンキュンしているし、中ではオムスビがニャウニャウしている、今日この頃のくろうさぎです。
あー本当はこんな犬猫のお話ではなく、春をテーマにしたブログを書き始めるつもりだったのにー
私もいぬねこ脳になってるー

今日は秩父開店16周年!

今年の6月からこっち卸を止め、スタッフ全員やめていただき、末娘に助っ人を頼んで親子3人体制で営業し始めたくろうさぎ。
シロウト二人とオーナーアライというおそろしい体制です。
しばらくは休憩なし、ごはん食べる時間なし、家に帰る気力なし、の毎日が続きましたが、シロウト二人が徐々に慣れてきて、ごはんを食べることもできるようになりました。
午前3時過ぎ起床のオーナーアライはほぼパン屋暮らしになっていますけど。

パン屋の2階には部屋がいくつかあり、ベッドルームふたつ、キッチンのある休憩室、事務室とそれなりに暮らせるようになっています。ただロフトのような作りになっているので、夏とっても暑いのです。しかもオーブンふたつが稼働してると全体が暖かい感じ。
住み心地よくないです。冷蔵庫や冷凍庫が沢山あるので、機械音がどことなくずーっとしていますしね。
それでも疲れていると夜遅く家に帰る気もなくなり、バタンキュも無理はないです。

夏も過ぎ、パン屋の2階も大分暮らしやすくなり、猫も一匹仲間になって、この暮らしにもそれなりにリズムができてきた今日この頃、11月1日からNEWスタッフ(知人の息子さん・パン屋歴4年・2年後独立予定)が一人加わりました。
彼がいろいろ慣れてくれば、仕事で手一杯の今の状態が少しマシになり、もっと活動的なくろうさぎになれるでしょう。

そして今日11月6日、秩父オープン16周年を迎えました。
16年前からずーっと変わらず来てくださっているお客様、この頃せっせと来てくださっているお客様、毎日のように大量買いしてくださるお客様、ふらりとイートインに来て下さりのんびり一人の時間を楽しまれているお客様、遠くから近くから、やってきて下さる多くのお客様に深く感謝いたします!

お店をやっていなければ会うことのできなかった方々。
事務仕事に明け暮れていた私(山田)としては、立ちっぱなしでハードではありますが、楽しいパン屋ライフ満喫といったところです。お客様との会話も楽しいですし、次々とパンを焼くのも面白い!
おまけに、ふっふ、5kgほどやせましたからね。

体力の続く限りパン屋を続けていきたいと思っています。
年と体力に合わせて、うまく縮小していけたらいいのでは。
脱原発とか環境問題とかTPPや平和について、食の安全について、未来につながる勉強や活動、地域の活動の時間ももっともっと欲しいですしね。
『美味しいパンに原発はいらない』
『美味しいパンは平和から』
とせいいっぱい主張したいですしね!
そして美味しく安心して食べられるパンを作り続けます。

これからもこんなくろうさぎをどうぞよろしくお願い致します。

生と死がいっぱい

くろうさぎはずっと、お店・個人宅配と自然食品店への卸の両輪でやってきました。
秩父で開店して15年がすぎ、その間まあいろいろいろいろなことがあった訳ですが、ここにきて私たちにとっては大きな転換期といえるものを迎えようとしています。
そのきっかけをくれたのは、実家岡山の父でした。
何年か前までは一人で秩父に遊びに来ていた父ですが、めきめきと足が弱り、歩けなくなり、トイレに行けなくなり、ほぼ寝たきりになり・・・父と同居する私の兄と、4年前の原発事故がきっかけで岡山に住むようになった私の娘二人に介護される身となったのです。
が、私としてもなんとかその介護の一端を担う仲間に入りたいと思い、遠距離介護を決め、仕事ばっかり生活から少し足を洗うことにしたのでした。
募集しても適任者がなかなかみつからないためのスタッフ不足や、円安や需要ののびによる原材料の高騰などなど、ほかにも理由はいろいろありました。
卸を止める、ということは製造スタッフも発送作業のスタッフもやめていただくということです。
なにしろ売上的には卸が四分の三から半分以上を占めているんです。
みんなの給料も払えなくなってしまいます。基本的にオーナーアライと二人でお店をやっていくってことです。
(う~ん、できるかな)
でも、思い切って、卸先のみなさまに「2015年5月いっぱいをもって卸業務を終了させていただきます」というお知らせを送らせていただいたのでした。

何回岡山に通ったでしょうか。
とんぼ返りでも父は待っていてくれ、子供たちや孫たちにも会えて、いくら大変でもなかなか楽しいことでもありました。
でも、父は私がもう少し自由になるはずの6月を待たず、急激に体調をくずしたかと思うと、さっさとこの世を去ってしまったのです。
あっれー
最後は病院で、兄と私と二番目の娘と孫二人に囲まれて「さよなら・・」
3時間前に私の手をとり、「さあ、帰ろう!」と起き上がろうとした父。
94歳(本人は95歳といいはっていた)なのに、毎日子孫・曽孫に囲まれていたのに、結構幸せな最後かもしれないのに、やっぱり悲しいです。

その夜家へ帰る娘の車の中で、孫二人は「おじいちゃんを焼かないでー!!」と泣き叫んでいたそう。
実はもっと可哀想な孫がいました。
北海道の大学にいき、卒業後そのまま札幌で働いていた一番下の娘は、自立支援のNPOで介護の仕事をしていたのですが、岡山のおじいちゃんの面倒は私がみる、といって仕事を辞め猫二匹を車に乗せ、日本海フェリーにのり、車で岡山に向かっていたのです。
なんと、彼女が着く3時間前におじいちゃんは亡くなってしまったのです!
号泣しながら車を運転して娘が着いたのは、すでに病院ではなく、お通夜と告別式を行う葬儀場でした。
こんなことってあるんですね。
「これはおじいちゃんが私くれたプレゼントだと思うことにしてる」と娘。
気を取り直し、なんだかわからないけど人生の岐路に立っていたりしているのでした。

父が亡くなる少し前には、三番目の娘が四人目の子供を自宅出産しました。
(ちょうど人が誰もいなくて中学生の長女が取り上げました。)
さすがにお産したばかりなので病院には行けず。
「おじいちゃんの最後には会えなかったね」と思っていたら、
「昨日おじいちゃん会いに来たよ!」
父が亡くなった次の日、「おーい」という男の人の声がして娘とその連れ合いは(こんな夜に誰だろう?)と思いながら、玄関に行ってみたけれど、だれーもいなかったそうです。
二人はすっかりおじいちゃんが会いに来た~と信じています・・・

「葬儀は身内だけでやってくれ」という父の言葉通り、大人7人子供7人の子孫曽孫だけで葬儀を行いました。
子供の数が多すぎて、せっかく葬儀屋さんがしめやかに「最後のお別れを」とか「お花をどうぞ」とか言ってくださるのですが、「おじいちゃんバイバーイ!」「○○ばっかり花あげてるー!」「おじいちゃん見えないー!」と騒々しいことこの上ありません。
火葬場でも怖がるどころか、お棺を窯?の中に入れるときも、お骨を拾うときも、チビたちが真っ先に飛んでいって先を争うので、「こら、順番!」「○○いい加減にかわって!」と大騒ぎ、もう悲しむ余地もありません。

「一人生まれて、一人死んで、全体数は変わらないね」
と娘たちが話しています。それが結論?
今でもふと悲しくなるのですが、卸をやめて基本はアライと二人でお店をやっていこう、という選択も父からのプレゼント、と思うことにします。
そして死に臨むという、子孫曽孫にとっての生の体験も、おじいちゃんのプレゼントにほかならないのでしょう。

すっかりご無沙汰していますが秩父開店15周年です!

はりきってブログを始めたのに、忙しすぎる私には無謀だったのでしょうか。
かなりつまづいております・・・

でも、こんなくろうさぎを多くのお客様や生産者の方々が支えて下さり、秩父にオープンして15年が過ぎました。
15年前の11月6日を思い出すと、今でもギャーっと言いたくなるような、ドギマギアワワのオープニングでした。
あの時から今に至るまで、パンを買いに来てくださっている心のひろ~いお客様の皆様には、どれほど感謝してもしたりないです。
これから15年続けていけたら嬉しいですが、ブログを更新するゆとりくらいは確保したいものです。
ただパン屋をやっていればいい時代ではないので、脱原発の活動や環境問題、地域の問題があり、小さくとも社会の一員として関わっていきたいですしね。
このままだと、こどもたち、孫たちの未来が見えないです。
おまけに高齢の父(しかも岡山という遠距離にいる)問題も。
最低3~4人は自分が必要です。

15年前、まだまだ大変だったとき、お店を手伝わせていた息子(まだ10代だった)が「今は大変だけど、いつか笑い話になるときがくるよ」と、今思うと生意気な慰め方をしてくれたことがありました。
確かに思い返すと笑えるけれど、大笑いって訳にはいきません。
その息子も今は自分たちのパン屋をタイヘン~と言いながらやっております。
すてきな彼女やまだまだ小さい子どもたちとともに。

時は巡っていきます。

この15年で、人生って何が起こるかわからないということだけは、身にしみました。
でも、考えてみたら自分の中にある譲れない大事な何かは、ちっとも変わってないから、ま、何があっても大丈夫、ってことにしておこうかと思います。

これからのくろうさぎに乞うご期待!です。

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